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三笠宮さまの死因の病気は?昭和天皇の弟で100歳でご逝去

   

今度は天皇家にまつわる訃報ですね。

昭和天皇の弟で皇陛下の叔父の三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう)さまが、10月27日朝、入院先の東京都内の病院で亡くなられました。

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三笠宮さまとはどんなお人だったのか

以下NHKニュースより引用です。

三笠宮さまは、軍人として太平洋戦争を経験し、戦後は歴史研究に力を尽くされました。

三笠宮さまは、大正4年、大正天皇の四男として誕生されました。

昭和天皇の弟にあたられます。

戦時中は、陸軍の参謀として中国の南京に赴任したほか、大本営の参謀なども務められました。

のちに、著書の中で、「今もなお、良心のかしゃくにたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです」などと述べられています。

戦後は歴史研究者の道を選ばれました。

東京大学の研究生として中東の古代史を専攻し、長年にわたって東京芸術大学などで教べんを執られました。

電車で大学に通われるなど、気さくな人柄で親しまれました。

日本レクリエーション協会の総裁を務め、スポーツやレクリエーションの発展にも力を尽くされました。

また、研究をきっかけにトルコの人たちと交流を深めるなど、国際親善にも努められました。

5人のお子さまが誕生しましたが、三男の高円宮さま、長男の※寛仁さまに続き、おととし6月には次男の桂宮さまが亡くなられ、3人の男のお子さま全員をなくされました。

去年12月に100歳になり、ことしの新年一般参賀でも元気な姿を見せられていました。

(※「寛」は、右はねに点)

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意外にも太平洋戦争開戦後、1943年(昭和18年)1月から翌1944年(昭和19年)1月まで、コードネーム「若杉」として南京の支那派遣軍総司令部に勤務していたとのこと。

皇室の人でも軍人になることはあったんだと再確認。

また上記以外にも幼少期より文才を認められ「童謡の宮さま」と呼ばれ、大正時代の詩作品には作曲家によって曲がつけられ、レコードも発売されたとのこと。

皇室らしい雅感漂う品のあるお人柄だったことがうかがえます。

死因は急性肺炎とされています。

高齢になればなるほど肺炎はリスクを高めていくものなんだと改めて思いますね。

今年6月には心臓の動きのリズムと整えるペースメイカーを埋め込む手術もされていたそうで高齢の手術はさぞ体に負担だったことでしょうね。

享年100歳だった三笠宮さま。

三笠宮さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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