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千石イエスの方舟事件/中洲シオンの娘の現在と千石剛賢の画像

   

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1月27日放送の爆報!THEフライデーでは1980年に日本を震撼させた「イエスの方舟事件」が取り上げられます。

「ワイドショーを騒がせた宗教トラブル」として当時有名な事件だったようですが、その後の新事実についても明かされるとのこと。

こういったカルト的事件はついつい見ちゃう!という人も多いと思うので放送前に先駆けて事件の背景について見ていきたいと思います☆

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爆報!THEフライデー/イエスの方舟事件について

爆報!THEフライデーでは以下のような流れで内容が放送されるようです。

  • 1978年、突如集団失踪した若い女性たちは今も共同生活を続けていた
  • 彼女たちを連れ去ったとされるのは謎の宗教集団「イエスの方舟」
  • 「若い女性たちを言葉巧みに入信させ、ハーレムを形成」と報道されたのは「千石イエス」と呼ばれる男
  • 娘が洗脳され、監禁されていると訴える親たちと大バトルに発展!
  • 潜伏期間は2年2か月… 日本中を巻き込む大逃走劇を繰り広げ事件は予想もできない衝撃的な結末を迎える
  • 事件から37年、番組がその後の「イエスの方舟」の今を直撃
  • 当事者がテレビ初激白し初めて明かされる驚きの新事実を今夜解禁

なるほど。

確かにカルト要素満載の内容ですね。

この事件について調べてみると、まずイエスの方舟事件とは、

1979年~1980年に発生した信仰集団「イエスの方舟」がマスコミによって大バッシングされた事件

とのことです。

「イエスの方舟」は元々聖書勉強会が母体となった集団で、その後団体名が改名されています。

(方舟の読み方は「はこぶね」と読みます)

このイエスの方舟を取りまとめていたのが「千石イエス」と呼ばれる男性で本名は千石剛賢(せんごくたけよし)という人物です。

イエスの方舟/主宰者の千石剛賢(たけよし)について!画像も

千石剛賢(たけよし)という人物は既に満78歳で亡くなっています。(1923年7月12日 – 2001年12月11日)

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出身は兵庫県加西市で元々は富裕な農家に生まれ20歳で海軍に入隊。

終戦後、自営業(刃物工場の経営)や、てきや、レストランの支配人など職を転々としていました。

気性が荒く20代のころは常に喧嘩に明け暮れていたようです。

1952年に大阪にある聖書研究会に参加。

そこで出会った研究員仲間10名と東京都国分寺市に移動し「極東キリスト集会」を主宰します。

これが「イエスの方舟」の起源とされています。

1975年頃に団体名を「イエスの方舟」と改名。

家庭に居場所がないと感じる者が信者と化し、家を捨て千石のもとで共同生活を始めるようになります。

この時入信した信者が主に若い独身女性だったことから当時のマスコミ各社はこれを一気に取りたてました。

(実際は男性や既婚者もいたらしい)

家出・失踪したわが娘を取り戻すべく信者の家族たちは警察へ捜索願を提出。

マスコミの千石イエスに対する追跡もこの時から一気に過激さを増します。

婦人公論誌は「千石イエスよ、わが娘を返せ」というタイトルで一斉報道し、中身に家族の手記まで掲載。

その他マスコミも、「千石ハーレム」「現代の神隠し」といった表現で便乗報道し主宰者千石剛賢と団体千石イエスを痛烈批判していきました。

やがて更にことは大きくなり警察が本格的に動き始めます。

イエスの方舟の娘たちからマスコミ各社に宛てた手紙が届くも「千石が無理やり書かせたもの」だとして、マスコミはこれを無視。

1980年7月2日遂に名誉毀損、暴力行為などの容疑で千石に逮捕状が出ます。

この直後千石は持病の心臓病から狭心症を発症し、緊急入院。

そして娘たちがマスコミの前に姿を現し、会見を行います。

飛び交うマスコミ記者の質問に「夫婦という関係以外では全くありません」と毅然と答えました。

捜索願が出されていた娘たちは親もとへ返され千石も半月後に出頭。

千石自身は任意調査で書類送検され容疑事実が不確定として不起訴処分になりました。

サンデー毎日はイエスの方舟事件に対しては冷静だった

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この事件の背景にはマスメディアの過激な報道が大きく爪痕を残しています。

しかし中でもサンデー毎日はこの事件に対しては冷静慎重な取材をしていました。

当時の編集長を務めた鳥井守幸さんはイエスの方舟の娘たちから送られた手紙について以下のような印象を受けたといいます。

「便箋20枚に書かれた手紙の行間に漂っている真面目さ、一途さに、これまでの方舟のイメージが根底から覆るかもしれないと背筋にぞっとする戦慄を覚えた」

しかし当時はほぼすべてのマスコミがイエスの千石を批判していたためサンデー毎日の冷静な報道は日の目を見ることはなかったようです。

イエスの方舟事件後の千石剛賢

不起訴処分となった千石剛賢は1980年12月に福岡の中洲に移って「シオンの娘」というクラブを経営し始めます。

そして一度親もとに戻った信者や娘たちは再び千石を頼って共同生活を再開します。

クラブというと綺麗な女性とお酒を飲んだりするイメージがありますがここでは来客者の悩みや人生相談に乗ったりなど悩める人物の駆け込み寺として知られていました。

信者たちは会員という肩書になり女性はクラブ嬢、男性会員は千石とともに大工仕事もしていたとのこと。

千石は会員から「おっちゃん」と呼ばれ慕われていたとのことでこのことからもイエスの方舟事件は行き過ぎたマスコミ報道による大衆心理がことを大きくしたと言わざるを得ないのかもしれません。

千石は2001年12月11日、福岡市の病院で死去。

千石亡き後も会員たちは悩める人物・主に暴力から逃れる女性たちのために駆け込み寺的な施設の運用も行っています。

この辺りは爆報!THEフライデーにて放送されることでしょう。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は昭和のカルト事件として扱われている千石イエス方舟事件についてお届け致しました。

当記事の内容をまとめると以下のような感じかと。

  • 千石イエス事件は信仰団体「イエスの方舟」による若い女性を連れ去った事件と言われていた
  • イエスの方舟は主宰者「千石剛賢」によって設立された
  • 千石剛賢を慕い、心の拠り所を求めた主に若い女性たちは次々とイエスの方舟に入信し共同生活を送った
  • マスコミ各社は若い女性を拉致したとしてイエスの方舟を痛烈批判したが、サンデー毎日だけは入信した娘たちは至って冷静だと慎重に取材していた
  • 千石剛賢は警察に逮捕されるも任意調査のみで不起訴処分になった
  • 当事件はマスコミによる扇動力が大きく作用し警察沙汰になってしまった可能性も捨てきれない
  • 千石剛賢亡き後も福岡中洲にて「シオンの娘」という会員制のクラブは営業している

事件から37年経った今、爆報!THEフライデーでは驚きの新事実が解禁されるようです。

果たして本当にイエスの方舟はカルト集団だったのでしょうか?

爆報!放送開始が待ち遠しいです!

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 - 爆報ザ・フライデー